EXAL 人と活動 [Oct. 2008] [May, 2008]

澤野 四郎 (さわの しろう)  (大正15年 生 ) 神奈川県横浜市

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横浜市の繁華街にある車庫の中。エンジンとプロペラおよび尾翼が付いた木製飛行機の胴体部分が天井から吊り下げられている。取外された左右の木製羽布張り主翼は壁際に立てかけられて休んでいる。この飛行機は、この車庫の中で製作されたのだが、胴体の両サイドにはユーモラスにデフォルメされた操縦士が描かれている。「やったぜ!」と言わんばかりの表情。操縦士が右手に握っているのは「お墨付き」。そう、「航空法第11条第1項ただし書」に係わる飛行許可書。脇に "MR SMOOTHIE " とある。これら遊び心に満ちた仕業は、車庫の主で、この飛行機の設計・製作・所有者であり、すぐ近くで老舗の蕎麦屋さんを家業とする澤野四郎氏の資質としゃれたセンスを具現化したものである。

 

澤野氏は、航空知識や経験を背景に、航空先進国の自作航空機を参考にして、かつ、模型飛行機の製作を通して培った技術を反映して、1967(昭和47)年、自前の飛行機の設計を始めた。次の1968(昭和43)年に製作開始、1975(昭和50)年5月に完成したが、飛行許可を取得する為の一連の準備と煩瑣な手続きなどに時間を要し、試験飛行は1年後1976(昭和51)年5月(大利根飛行場)となった。航空青年憧れのスピ−ドレースの世界、1930年代のレーサー・パイロット "アートチェスター Art Chester " にちなんで「ミスタースムーシー Mr Smoothie」と命名したオリジナル自作飛行機。自動車エンジン(フォルクスワーゲン 1,200 cc )搭載の「 澤野式 S25X 型 」機は、協力して試験飛行を行ったプロフェッショナル・パイロット高橋 淳氏から、「特性が良い」との評価を受けた。

 

かつては日本飛行機で働いた経験があり、志願して予科練(旧海軍飛行予備練習生)第14期生として採用されるも、時期的に幸いして無事終戦を迎えた。航空青年の空への情熱は模型航空機の分野へも注がれてきたのだが、模型とはいっても機体は徐々に大きくなって、操縦系統などの構成は次第に実物に近い物になった。澤野氏の25番目の機体は、人が乗って実際に空を飛ぶ事を目標とした。型式名 S25X の由来だが、もはや模型ではない、自作航空機である。

飛行機の操縦技能証明(免許)取得をめざした時期もあった。近くに藤沢飛行場があり、しばらくの間そこで訓練を受けた。しかしその飛行場が閉鎖された為、訓練には遠くまで通わなければならなくなって、家業との兼ね合いなど総合的な判断で訓練は中断した。

 

 胴体に表示されている仕様・諸元

しかし、自分が精魂込めて作った飛行機に乗って飛びたいとの思いはたちがたい。座席が二つ有れば可能ではないか。自作航空機については、試験飛行等を目的とした場合に飛行許可がおりる〜目的に適えば同乗が許可される。操縦は、操縦免許を所有するしかるべき方の協力を得る、同乗者は性能等の計測要員を務める〜操縦免許が無くても、設計・製作者が合法的に飛行できる。

1978(昭和53)年8月。ミスタースムーシーをタンデム複座型にする改造作業を始めた。エンジンはパワーアップ(フォルクスワーゲン 1,850 cc)してプロペラも新たに削って製作した。座席を二つにする事に伴って翼や胴体を改造した。操縦装置は複式。重心位置の都合上、一人搭乗で飛行する場合は後座席を使用する設計となった。操縦席キャノピーは、単座型の後方へスライドする単純な形の物に代えて、3次曲面の物を新たに整形製作し、操縦席右側のヒンジで開閉する様にした。かくして、やはり自作のグラスファイバー製エンジンカウリングやプロペラスピンナーと相まって、より流麗な形の澤野式 S25XUタンデム スムーシー が誕生した。これは1979(昭和54)年10月21に初飛行、程なく澤野氏も同乗して飛行するようになり、自作飛行機で飛びたいとの執念が実を結んだ。なお、試験飛行に協力した同じ高橋パイロットは「単座型の素直な飛行特性が損なわれていない」と感嘆した。飛行許可書にある許可条件、最初は「滑走路上 高度3メートル以下のジャンプ飛行」であったが、試験実績を積むに連れて、高度制限が200フィート、500フィート、1500フィート(約450メートル)と緩和された。機は高橋 淳氏の他に数名のパイロットによって操縦され、同乗者も澤野氏他6名が認められた。

ミスタースムーシー S25X および S25XUは、ジェーン航空機年鑑にも、設計製作経過と仕様諸元が紹介された。

 
 
                     水平尾翼の前にあるのは、後方に折畳んだ主翼の支持装置

製作を始めてから8年で単座型が初飛行に成功し、複座型で同乗飛行するまでに11年の歳月を要した。この間に二人の子供さんは、自作飛行機に熱中するも、家業をおろそかにする事なく夢を実現した父親と、かたわらで何かと協力して支えた母親の姿を見ながら、そのプロジェクトの進捗と共に成長した。

後年(1990年)、自作航空機や超軽量動力機等に登録制度が適用された折りに、複座型ミスタースムーシーは登録識別記号「JX 0005」を取得した。

蕎麦屋の女将さん(澤野氏の奥さん)は言った、製作期間中 「夕食を共にした事が無かった」。

ミスタースムーシーの保存状態は極めて良い。平成20年の現在、全般的な点検を実施して、必要に応じて多少の整備を施せば、十分飛行可能と思われる。

名前が独特の響きを放つ自作飛行機、ミスタースムーシーは、翼を大きく広げて、ゆったり過ごせる場所はないものか、と考えている事だろう。

          (以上の写真は全て 平成20年3月、 撮影 K)
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参照頁 :  自作航空機の紹介 ミスタースムーシー 単座型  仕様と諸元
         自作航空機の紹介 ミスタースムーシー 複座型  仕様と諸元

          自作航空機の実際 ミスタースムーシー 単座型  複座型 飛行許可書などの書類の写し
        自作航空機の実際 ミスタースムーシー 記録写真

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  追記  [Oct. 2008]

  1970年代の自作飛行機「ミスタースムーシー」は、神奈川工科大学工学部機械工学科(神奈川県厚木市)へ寄贈され、
  2008年8月10日に機体搬入,同19日に現地での組立てを完了した。
  同学では来年度(2009年)より「航空宇宙学専攻」が新設されるとのことで,今後は航空工学等を学ぶ学生さんたちの
  教材として新しい役目を担うこととなった。製作者澤野氏も、このような形で活用できる事を大変喜んでいる。


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